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聖歌は生歌

聖歌は生歌

年間第13主日

《A年》 
 38 神のいつくしみを
【解説】
 今日の詩編89は表題に「エズラ人エタンの詩」(列王記5章11節参照)とあります。実際にそれほど古いものではないにしろ、かなり昔に起源をもつ詩編と考えられています。全体は、ダビデ(ダビデの王家)に対してなされた神の約束の実現を求める祈りで、そこから、ダビデの子孫に連なるメシア=キリストに対する預言と考えられるようになりました。詩編集の第三巻の最後に置かれていて、53節は第三巻の栄唱となっています。
 第一朗読の列王記4章は、エリシャの行った奇跡がまとめられています。今日の朗読を聞いて、アブラハムの妻サラに起こった出来事(創世記18章)やザカリアとエリザベトの出来事(ルカ1章)を思い出されたかたも多いと思います。第一朗読と答唱詩編、福音朗読の関係を見ると、ちょっと関係を想像するのが難しいかもしれません。特に福音朗読で語られるキリストのことば「わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける」。この中で語られる「小さな者」とはキリストの弟子を指しているのであって、キリストの弟子が誰かに水を飲ませることではないということです。そうすると、シェムネの夫人がエリシャに行ったこととの関連もわかりますし、神の人やキリストの弟子たちに行って神やキリストを受け入れた人たちが、神のいつくしみを知るようになるということができるでしょう。
 この答唱句はまったく拍子が指定されていません。と言うのも、順番に、四分の三、四、五、三、四。と変わってゆくからです。ですが、歌うと、まったくそれを感じさせず、歌詞の意味どおりに、自然に歌うことができるから不思議です。冒頭は、75「神よあなたのことばを」などと同じく、オルガンの伴奏が八分音符一拍早く始まります。「とこしえに歌い」と「代々につげよう」では、Fis(ファ♯)が用いられ、伴奏でも、ことばを意識しています。答唱句の終止は、五の和音で、上のFis(ファ♯)が用いられているところは、五の五の和音(ドッペルドミナント)と考えることもできますが、旋律は、G(ソ)を中心に、上下に動いているので、教会旋法の第八旋法に近いようにも考えることができます。また、最初にもあげたように、拍子が指定されず、グレゴリオ聖歌の自由リズムが生かされています。「主のまことを」で、旋律が最高音C(ド)となり、和音も、ソプラノとバスが2オクターヴ+3度に広がります。詩編唱は、鍵となるG(ソ)を中心に動きます。答唱句の音域や、詩編唱の和音からは、あくまでもC-Dur(ハ長調)で、終止は半終止と考えるほうが妥当ですが、それほど単純ではなく、作曲者自身の、グレゴリオ聖歌から取り入れた独自の手法と言えるでしょう。
【祈りの注意】
 冒頭、オルガンの伴奏が八分音符一拍早く始まりますが、これを良く聴き、「かみ」のアルシスを生かしましょう。「神のいつくしみを」は、旋律が一端下降してから上行します。まず、「かみの」の「の」の八分音符を気持ち早めに歌います。その後、「いつくしみ」まで八分音符が連続し、特に「つくしみ」は同じ音が続きます。「の」の八分音符を気持ち早めに歌った勢いを止めずに歌いましょう。そうすることで、祈りが先へ流れてゆくようになります。前半は一息で歌いたいところですが、息が続かない場合は、「いつくしみを」の付点四分音符に、一瞬で息を吸ってください。最初は一息でいかないかもしれませんが、祈りの流れに、毎回、こころを込めると、徐々にできるようになるのではないでしょうか。最初から「無理」とあきらめずにチャレンジしてください。この「を」を、付点四分音符で延ばす間、少し cresc. すると、祈りが、次の「とこしえに」へ向かって、よく流れてゆきます。ただし、やり過ぎないようにして、最初の音の強さの中で、cresc. しましょう。「歌い」の後で、息をしますが、祈りは続いていますから、間延びして流れを止めないようにしましょう。この後、よく耳にするのが、「まことを」の四分音符を、必要以上、二分音符ぶん位、延ばしてしまうものです。「主のまことを、代々に告げよう」は一つの文章、一息の祈りですから、「を」は四分音符だけで次へ続けます。このようになるのは、おそらく、答唱句の最後で rit. することが背景にあるかもしれませんが、これは明らかにやりすぎです。rit. しても、四分音符は四分音符として歌います。
 神の人、そして、キリストの弟子たちを受け入れた人が受ける恵みとでもいうべきことが詩編唱の歌わんとしていることです。その意味でわたしたちは「神の人」であり、いわんやキリストの弟子の一人であり、わたしたちをそのような者として受け入れ、神のことばを聞き、神とキリストを受け入れる人には永遠のいのちという恵みが与えられるのですが、わたしたち自身もまた、同じように何らかのかたちで神のことばとキリストの教えを受け入れたからこそ、教会共同体に受け入れられたことを忘れてはなりません。
 【オルガン】
 基本的にフルート系のストップ、8’+4’がよいでしょう。この答唱句では、前奏が祈りを大きく左右します。冒頭、オルガンの伴奏が八分音符一拍早く始まりますが、オルガンだけで前奏する場合には、ソプラノだけ、実際に歌うように弾くと、わかりやすくなります。次に、祈りの注意でも書きましたが、「神のいつくしみ」のところを、実際に歌うように、「の」を気持ち早めに弾き、「つくしみ」の八分音符を、その勢いを保ったまま、しかし、レガートで弾きます。この後も、旋律は同じ音が続きますから、歌うように刻みますが、その場合もレガートを心がけましょう。最後の、「まことを」の「を」もきちんと八分音符で弾くようにします。オルガンがここを、必要以上に延ばすと、会衆の祈りも間延びしたものになってしまいます。
 答唱句全体は、一つの文章でできた(。が一つしかない)祈りです。オルガン奉仕者が、まず、この文章をきちんと味わい、ふさわしい祈りとして歌えることができなければ、会衆の祈りもふさわしい祈りにならないことを、よく、こころに刻んでおきたいものです

《B年》
66 神はわたしを救われる
【解説】
 詩編30は瀕死の重病から救われた人の感謝の祈りです。
 死は「死の国(よみ)、墓(穴)、滅び、ちり、嘆き、荒ら布」、いのちは「喜び、恵み、踊り、晴れ着」と対照的にたとえ
られ、神による救いが強調されています。
 答唱句は、珍しくテージス(小節線の後ろ)から始まります。旋律の音は、G(ソ)、A(ラ)、C(ド)の三つの音で、そ
の他の声部の音も大変少ない音で構成されています。文末以外は、ほとんどが八分音符で、「すくわれる」と「たた
えよう」で四分音符が用いられて、ことばが強調されています。とりわけ「たたえよう」では、アルトのAs(ラ♭)とテノ
ールの最高音E(ミ)で、信仰告白のことばが高められています。さらに、テノールは冒頭から「いつくしみ」までC(ド)
が持続して、神への信頼と救いの確信が表されています。
 詩編唱は、3小節目でバスに臨時記号が使われ(Fis=ファ♯)、緊張感が高められますが、4小節目は五の和音
で終止し、旋律も答唱句の冒頭と同じ音になり、落ち着いて終わります。
【祈りの注意】
 冒頭は、指定の速度の、四分音符=72よりやや早めで始めるとよいでしょう。八分音符が連続しますので、メトロ
ノームで計ったように歌うと、歌はもちろん祈りになりません。変なたとえかもしれませんが、ところてんを作る道具
で、最初に、一気に押し出すような、そんな感じではじめるとよいでしょう。2小節目の「救われる」でやや rit. します
ので、「わたしを」くらいから、わからない程度にゆっくりし始めます。「その」のバスが八分音符一一拍早く始まるとこ
ろで、テンポを元に戻します。最後の「いつくしみをたたえよう」から、再びわからないように rit. して、最後はていね
いに終わります。最後の「たたえよう」は、こころから神をたたえて、祈りを神のもとに挙げるようにしたいものです。
 この答唱句は、「神はわたしを救われる」と現在形になっています。神の救いのわざ(仕事)は、かつて行われて終
わってしまったのでもなく、いずれ行われるのでそれまで待たなければならないものでもありません。神の救いは、今
も、継続して行われています。その、顕著なものが、やはりミサではないでしょうか。ミサは、キリストの生涯の出来
事を思い起こす福音朗読と、その救いの頂点である主の過越=受難-復活-昇天を記念=を、そのときその場に現
在化するものです。このミサが、世界のどこかで、必ず継続して行われている。それを、この答唱詩編は思い起こさ
せてくれます。そのことを思い起こしながらこの答唱句を歌うことが、祈りを深め、ことばを生かすことになると思いま
す。
 今日のこの詩編は、まさに、第一朗読の知恵の書と福音朗読との架け橋であることは、この、三つの朗読を読めば
一目瞭然です。いのちの源である神は、「御自分の本姓の似姿として」人間を造り、「生かすために万物をお造りに」
なりました(第一朗読より)。キリストの生涯、また、ミサは、世に新しいいのちをもたらす、救いの秘跡です。
 ここで思い出すのですが、帰天された濱尾枢機卿が説教で、よく、話されていたことですが、わたしたちのささげる
祈りやミサが自分たちのためだけのものならば、自己中心的で利己的になってしまいます。わたしたちのささげる祈
り・ミサが、すべての人の、あるいは、万物の救いとなるように広い心を持ちたいものです。
【オルガン】
 前奏のとり方が、答唱句を生かすか殺すかの分かれ目となります。単調にのっぺらぼうのように弾かないこと、ま
た、ソプラノの音はしっかりと刻み、一つひとつのことばを生かすとともに、全体の祈りの流れをも深めるようなものとし
ましょう。ストップはフルート系の8’+4’で、明るいストップを用いるとよいでしょうか。とは言え、派手になり過ぎない
ように気をつけてください。音の動きが少ない分、単調になると、ことばも生かされず、祈りも深まりません。音の変わ
り目、特に、バスの音の変わるところが、キーポイントとなります。答唱句は、できれ、ペダルを入れたいものです。ペ
ダルを入れる場合は、フルート系で16’+8’にします。

《C年》
 98 しあわせな人
【解説】
 詩編16は、元来、カナンからイスラエルに移り住んだ人が、改宗して行った、信仰告白と思われます。詩編作者
は、主である神との一致は、死よりも強いと感じ、まことの神との一致にこそ、しあわせと永遠のいのちがあると確信
した美しい歌です。死に打ち勝ち、復活したキリストの父との一致こそ、この、永遠のいのちをもたらすものに他なりま
せん。それゆえ、使徒たちは、この詩編を、詩編118(87「きょうこそ神が造られた日」)と同様に、キリストの復活の
あかし・預言として用いました(使徒2:21-33参照)。
 答唱句は、冒頭から、5小節目の「喜びに」までは、八分音符の細かい動きと、四分音符+付点四分音符と八分音
符(2小節目のバスとアルト、4小節目のテノールとアルト)のリズムで、神の豊かな恵みを受ける人の、しあわせな
こころの喜びを、活き活きと表現しています。最後の3小節は、付点二分音符や二分音符という、長い音価の音符を
使って、この恵みに生きる安心感が表されています。さらに、「喜びに」では、旋律で、最高音のE(ミ)が用いられて、
強調されています。
 詩編唱は、最終音の2度上(一音上)のH(シ)から始まり、歌い始めやすくなっています。そして、次第に下降し、E
(ミ)に至りますが、この音は、答唱句の冒頭の音と同じです。なお、詩編唱の最後の和音は、E(ミ)-Gis(ソ)-H
(シ)ですが、これは、和音の位置こそ違いますが、答唱句の最初の和音と同じです。ちなみに、この曲はA-Dur(イ
長調)ですが、この和音は、主和音ではなく、五度の和音です。答唱句が、主和音ではなく、五の和音から始めるこ
とで、次の「しあわせな」に向かう、勢いを付けているのです。
【祈りの注意】
 上にも書いたように、冒頭は、勢いを付けて歌われ始めます。最初の「し」は、マルカート気味で歌います。冒頭の
速度指定は、四分音符=112くらいとなっていますが、最初は、これよりもかなり早いテンポで歌い始めます。そう
でないと、答唱句の活き活きとした感じを出すことができません。この、速度は、答唱句の終わりの rit. したテンポと
考えてよいと思います。付点四分音符や四分音符の後の八分音符、すなわち「しあわせ」や「しあわせな」、「かみ
の」、「そのよろこび」が遅くなると、どんどんテンポが落ちてゆきますので、注意しましょう。なお、続く、連続する八分
音符もきびきびと歌ってください。
 「ひと」や「受け」の付点二分音符で旋律が音を延ばしているところは、しっかりと音を延ばし、一瞬で息継ぎをして、
次の四分音符を歌うようにします。この延ばしている間に、「ひと」では、バスとアルトが、「受け」では、テノールとア
ルトが遅れてこのことばを歌います。ここでしっかりと延ばすことで、ひとまとまりの文章である、答唱句がひとつの祈
りとして継続されますが、早く音が切れると、この祈りが続かなくなります。答唱句の後半は「喜びに」から、徐々に
rit. して終わりますが、いつ、rit. が始まったか分からないようにできれば、最高です。一番最後の答唱句(歌い終
わり)は、最も、ていねいに rit. しましょう。
 ところで、この答唱句で歌われる、「しあわせな人」とは、だれでしょうか?実は、この答唱句を歌う、わたしたち、一
人ひとりがしあわせな人なのです。わたしたち一人ひとりが「神の恵みを受け、その喜びに生き」ているのでなけれ
ば、この答唱句が活き活きと歌われないのではないでしょうか?
 詩編唱は、1から3節が歌われます。まず、技術的な注意ですが、答唱句が小気味よいテンポで歌われますから、
詩編唱も、早めに歌いましょう。1節の1小節目と、2節の2小節目は、少し歌詞が長いので、「ゆずり」と「おられ」の
後で息継ぎをします。息継ぎをするときは、その、少し前に、やや、rit. して、一瞬で息継ぎをし、再び、元のテンポに
戻して歌います。
 第一朗読では、エリシャの召命が、福音朗読ではイエスの弟子になる覚悟が語られます。神のしもべ、キリストの
弟子になるためには、この世の中のものへのこだわりを取り去る必要がありますが、いったん、キリストの弟子にな
れば、この世のものとは比較にならない喜びを受けることができます。キリストによって開かれた「道」を歩むわたした
ちは、すでにその喜びを神から与えられているのです。それをかみしめながら、この詩編を祈りたいものです。
【オルガン】
 答唱句のことばや、主に従うという、ことばの典礼の焦点から、やや、明るめのストップを用いたいものです。基本
的に8’+4’で、会衆の人数によっては、2’を加えてもよいかもしれません。前奏の時に一番気をつけなければなら
ないことは、祈りの注意で書いたように、テンポが遅くならないことです。一般的に、会衆のテンポは、オルガンの前
奏より、かなり遅くなりやすいので、しっかりと、テンポを維持できるようにしましょう。
 詩編唱者と、答唱句のテンポのバランスも、難しいので、詩編先唱者と、きちんと準備をするようにしたいものです。
詩編唱の時に、気を抜いていると、音が変わるところや、詩編の頭で、ずれたりすることがあります。
 もう一つの注意点は、答唱句が四声、または、二声で歌われる場合、それぞれの声部と、オルガンがきちんと合う
ようにすること。会衆が斉唱の場合も、オルガンの内声がきちんと聞こえることで、延ばしている長さが、短くならない
ようにすることです。


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